2016年6月18日土曜日

『大統領の陰謀』ネタバレなし



監督:アラン・J・パクラ
主演:ロバート・レッドフォード、ダスティン・ホフマン
1976年公開


あらすじ

1972年6月17日。ワシントンD.C.の民主党のオフィスがあるウォーターゲートビルに不法侵入したとして、5人の男が逮捕された。
裁判の傍聴席に共和党の弁護士がおり、容疑者が多額の現金を所持していた上に無線機やカメラなどを持っていたこと、さらにひとりがCIA関係者であると供述したことから、ワシントン・ポスト紙の新米記者ボブ・ウッドワードは踏み込んだ取材を始める。

ウッドワードがワシントン・ポストのオフィスに戻って記事を書いていると、先輩記者のカール・バーンスタインが記事を書き直していた。ウッドワードは腹を立てるも、バーンスタインのほうが優れていた。そして、ふたりは一緒に取材を行うことになる。

取材は難航するが、謎に包まれた情報提供者”ディープ・スロート”の助けもあり、徐々に真相に迫っていく。


感想

ウォーターゲート事件という実際にあった事件が題材になっています。

それにしても難しい。
登場する名前が多い上に、全然知らない人ばかり。映画そのものに起伏が無く、盛り上がらない。

観る前にウォーターゲート事件について予習した方が良いと思います。実際に起きた出来事なのでネタバレと言えるのかどうか・・・。


ウォーターゲート事件

1972年6月17日。ウォーターゲートビルで、民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けていた男5人が現行犯逮捕された。
以下が、逮捕された5人。

バーナード・バーカー:元CIA工作員で亡命キューバ人を訓練していた
ジェームズ・マーチン(本名ジェームズ・W・マッコード・ジュニア):ニクソン大統領再選員会の警備主任の元CIA工作員
バージリオ・ゴンザレス:退役軍人
ユージニオ・マルチネス:退役軍人
フランク・スタージス:退役軍人

押収された手帳の中に、ホワイトハウス顧問のチャールズ・コルソンの名前、エヴェレット・ハワード・ハントの名とホワイトハウスでの電話番号があった。
ハントはFBI、CIA、ホワイトハウス非常勤顧問を務め、4月からホワイトハウスの向かいの広告会社に勤務していた。さらに、CIA時代にキューバに関わっており、逮捕された5人と関係があると考えられた。
さらに、5人が泊ったホテルから53枚の100ドル紙幣(約160万円)が発見された。

6月19日。ニクソン大統領の報道担当官ロナルド・ジークラーは、ホワイトハウスは事件と無関係だと一蹴し、22日にはニクソン大統領も同様の発言をしている。

6月30日。ワシントン連邦地方裁判所で大陪審が始まった。しかし、被告人は侵入を認めるも、金の出どころや依頼主は明かさなかった。
しかし、弁護士が「ハント氏ともうひとりの人物から弁護を依頼されている」と発言した。弁護士は追求されるも「もうひとりの人物」が誰かを明かさなかった。

バーナード・バーカーの事務所の通話記録から、事件当日に12回も大統領再選委員会財政顧問ジョージ・ゴードン・リディと通話していることが明らかとなった。
そして「もうひとりの人物」がリディであると確認されたため、彼も逮捕された。
その後、行方をくらませていたハントも遂に出頭し逮捕された。

1973年1月8日。大陪審の結果、マッコードとリディ以外は有罪を認めた。しかし、事件の背後については明かさなかった。
その後、マッコードが裏を明かすようになり、3月24日の上院特別調査委員会で「盗聴計画は、ジョン・N・ミッチェル(大統領再選委員会委員長)、ジョン・ディーン(大統領法律顧問)、ジェブ・スチュアート・マクルーダー(大統領再選委員会副委員長)の3名が事前に承認を与えた」と暴露した。

判決は、リディに懲役20年、ハントに懲役25年、他の被告人には懲役35年が言い渡された。


6月19日に夕方。大統領再選委員会委員長のジョン・N・ミッチェル、副委員長のジェブ・スチュアート・マクルーダー、委員会メンバーのフレデリック・ラルー、ロバート・マーディアン、大統領法律顧問のジョン・ディーンの5人が集まり、最初のもみ消しのための会合が行われた。
その後、リディとハントを中心に次々と証拠物件が処分されていった。


マッコードの暴露により、今まで行政特権でスタッフの証言を拒否してきたホワイトハウスにも非難が集まり、大統領はホワイトハウス内部の調査を始める。
4月17日。大統領は「調査に新たな進展があり、事件捜査に全面的に協力して、いかなるもみ消し工作も強く非難する」と語った。

その後、ニューヨーク・タイムズ紙に会合のことやディーンが口止め料を支払ったことなどがスクープされると、ディーンは大統領法律顧問を解雇される。その後の上院特別調査委員会でディーンは「ニクソン大統領はもみ消し工作を知っていた」と証言した。


1973年7月13日。上院特別調査委員会でバターフィールド大統領副補佐官が、大統領執務室の会話を録音したテープが存在すると発言した。
テープの提出を求められたニクソン大統領はそれを拒否。

10月20日土曜日。テープの提出命令を無効にするようリチャードソン司法長官経由でアーチボルト・コックス特別検察官に命じるも、コックスは拒否。
次に、リチャードソンにコックス解任を命令するが、リチャードソンは拒否し、辞任。さらに同じ命令をラッケルズハウス司法副長官に出すが、彼も抗議辞任する。最終的に、ボーグ訴務長官がコックスを解任した。
この「土曜日の夜の虐殺」に全米から非難が殺到。大統領弾劾の動きが始まる。


ウォーターゲート事件以外での汚職も判明し、ニクソン政権の支持率は68%から30%以下にまで落ち込んだ。世論も弾劾賛成派が多数となり、ニクソンは窮地に立たされた。
1974年8月5日に、すべての録音テープが提出された。
これが決定的証拠となり、もはや弾劾は避けられない展開となった。

1974年8月9日正午。ニクソン大統領はアメリカ史上初めて任期中に辞任した大統領となった。


以上がウォーターゲート事件です。ほとんどウィキペディアの要約ですが。

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